皆さんこんにちは!

コロナウイルス 、嫌ですね。

 
どうしても家に引きこもりがちですが。

そんな時こそ音楽を楽しみましょうぞ!

 
…ということで今回は、本当のスターマンとなった

デヴィッド・ボウイ(David Bowie)

 
『ヤング・アメリカンズ(Young Americans)』(1975)
について語ります!

ボウイとの出会い

ボウイを初めてきちんと聴いたのは、高校3年生くらいでしょうか(遅っ)。

それまで、ブリティッシュ・ビートやパンク/ニューウェーブ、ハードロック、オールディーズを聴きまくってたのですが。

スコーンと抜け落ちていたのが、70年代の王道アメリカン・ロック(ドゥービー・ブラザーズとか)やブラック・ミュージック全般。

そして、ボウイをはじめとするギラギラメイクのグラム・ロックでした。

 
1980年前後は、「ニューロマンティック」が大流行。

その多くが中性的なイメージで売り出していたこともあり。

パイント君は「軟弱だなー」と思って、ちょっと敬遠しておりました。

従って、彼らが影響を受けたボウイとも、距離を置いてたワケです。

(当時は頭の中で一緒くたにしてたかもしれません)

 
そしてダメ押しとなったのが、雑誌「ポパイ」の70年代特集ですよ。

ボウイのことを「剽窃の天才」と形容しており。

なんだか良い印象を受けなかったので、代表作として紹介されていた



『ジギー・スターダスト』

を聴いてみようとも思いませんでした。

 
そうこうしてる間に。

↓ボウイは『レッツ・ダンス』(1983)と『戦メリ』(1983)が大ヒット。

 
「メジャーなカルトヒーロー」から、世界的大スターへの階段を一気に駆け上りました。

 
しかしパイント君としては、これも気に入らない。

『レッツ・ダンス』のイントロが『ツイスト・アンド・シャウト』へのオマージュであるのは明白ですが。

正義感が強かった(爆)当時は、「パクリだ」と感じてしまったのです。

最初に買ったレコード

彼に対する見方が180度変わったのは、あることがキッカケです。

 
友人がエアチェック(懐かしい)したボウイ特集のテープを貸してくれて。

最初に聴いた曲が、ちょっとファンキーな『ヤング・アメリカンズ』という曲だったのです。

そのテープにはもちろん、『ジギー』の数々の名曲も収められていました。

 
…すぐにレコード屋に走りましたね(いつも単純)。

『ジギー』のジャケは「ポパイ」で知っていたので、『ヤング・アメリカンズ』を探してたら。

 
「…なんだこのジャケット?」

 
顔は鶏ガラみたいだし、しかも眉毛がない!

それでいて、写真は芸能人丸出しのブラコン(当時は黒人音楽をそう呼んでいた)みたい。

一方、ジャケの表面は全体にエンボス加工が施されていて、シックな趣。

その気持ちいい手触りにほだされて、思い切って購入しました。

 
なので、最初に買ったボウイのアルバムは『ジギー』でも『レッツ・ダンス』でもなく、

『ヤング・アメリカンズ』なのです。

収録曲


A面
1. ヤング・アメリカンズ
2. 愛の勝利(Win)
3. ファスシネイション(Fascination)
4. ライト(Right)

B面
5. 幸運の神(Somebody Up There Likes Me)
6. アクロス・ザ・ユニヴァース(Across the Universe)
7. 恋のささやき(Can You Hear Me)
8. フェイム(Fame)

 
…全部で8曲しかない。

 
↑次作の『ステイション・トゥ・ステイション』(1976)は、もっと少ない6曲だけど(苦笑)。

 
『ヤング・アメリカンズ』が発売された1975年は、

黒人音楽が「ソウル」から、より洗練された「ブラコン」へ移行する時代。

ボウイは無謀にも、当時大流行していた「フィラデルフィア・ソウル(フィリー・ソウル)」に挑戦したワケです。

(白人アーティストとして初めて、「ソウル・トレイン」に出演したりもしてます)

 
何しろ前作がカルト色満載の

 
↑『ダイアモンドの犬(Diamond Dogs)』(1974)ですからね。

飛躍し過ぎ!

 
とはいえ、その予兆はあったと。

ボウイは「ダイアモンド・ドッグズ・ツアー」中に途中で方向性をガラリと変え、ソウル色を取り入れたらしく。

フィリー・ソウルへの接近は必然だったんでしょうな。

実際、大半の曲はフィリーの根城であるシグマ・サウンド・スタジオで録音されてます。

個人的には、『ファスシネイション』がカッコいい。

リスキーな方向転換

それにしても、ダイナミックな歌唱力が要求されるソウルへの挑戦は、声がひ弱なボウイにとって分が悪いはず。

なぜ、こんなリスキーなことに挑戦したのか?

 
よく言われるように、やっぱり黒人音楽の根源的なパワーが欲しかったからだと思います。

 
さらに、エネルギーの塊であるジョン・レノンまで引っ張り出してきたと。

いわゆる「失われた週末」中のジョンは、『フェイム』と『アクロス』に参加。

これら2曲は、ニューヨーク(ジミヘンのスタジオ)で録音されました。

 
当時は八方塞がりだったらしいので、やはりパワーを注入したかったんでしょうなあ。

ジギー路線をあっさり捨てたことには、

「自分のパロディーには決してならないぞっ!」

という男気すら感じます。

軟弱と思っててゴメンなさいm(_ _ )m

 
結果的に方向転換は吉と出て、

イギリスでは最高2位、ビルボードでは9位まで上がりました。

ジョンとの共作『フェイム』はシングルカットされ、初の全米ナンバーワンを獲得しています。

 
『アクロス』については、ジョンがずっとビートルズバージョンに不満を漏らしていましたが。

このバーションは、ボウイのテンションが異常に高い!

作者自身も、仕上がりに満足したのではないでしょうか。

レコーディング・メンバー

そして、そのガッツを支えるのが強力なメンツ。

カルロス・アロマー:リズムギター
*初参加。
ウィリー・ウィークス:ベース
*初参加。ダニー・ハサウェイ『ライブ』や、ジョージ・ハリスンのソロ作品で有名。
アンディ・ニューマーク:ドラムス
*初参加。ジョン・レノンの『ダブル・ファンタジー』にも参加している。
マイク・ガースン:ピアノ
*『アラジン・セイン(Aladdin Sane)』(1973)からの付き合い。
アール・スリック:リードギター
*『デヴィッド・ライブ(David Live)』(1974)からの付き合い。『ダブル・ファンタジー』にも参加している。
ルーサー・ヴァンドロス:バッキング・ボーカル
デヴィッド・サンボーン:サックス

NY録音のみのメンバー
ジョン・レノン:ギター、ボーカル
エミール・カッサン:ベース
デニス・デイヴィス:ドラムス

 
ちなみに、ベルリン時代(1976-78)の『ロウ(Low)』と『ヒーローズ(Heroes)』は

ジャーマン・ロックの影響が色濃く、エレクトロなインスト曲も多いのですが。

リズム隊が相変わらずファンキーなのが面白い。

 
カルロス・アロマーデニス・デイヴィス、『ステイション』から加わったベースのジョージ・マーレイは、

頭文字を取って「DAMトリオ」と呼ばれ。

 
↑傑作ライブ盤の『ステージ(Stage)』(1978)で爆発してます。

このワールドツアーの最終日はNHKホールで行われ、

その模様はNHKの「ヤング・ミュージック・ショー」で、1979年にオンエアされました。

必見です。

 
ところで余談ですが。
 
↑トーキング・ヘッズは『ストップ・メイキング・センス』(1984)で、バーニー・ウォーレルなどの黒人ミュージシャンを招き入れました。

一見すると不思議な組み合わせですが、ボウイの方法論を取り入れたのではないでしょうか。

おまけ

ボウイは多作です。

50年以上にわたるキャリアの中から、オススメの5枚を選んでみました。

異論はあるでしょうが、サッと流して下さいね。

 
 
『ハンキー・ドリー(Hunky Dory)』(1971)
一番のお気に入り。

全体を貫く雰囲気が素晴らしく、曲の水準も高い。

 
 
『アラジン・セイン(Aladdin Sane)』(1973)
ナショナル炊飯器稲妻で有名なハードコア版ジギー。

初の全英1位。

 
 
『ロウ(Low)』(1977)
『地球に落ちてきた男』ジャケの前衛作品。

これが全米11位とは、アメリカ人も捨てたもんじゃない。

 
 
『スケアリー・モンスターズ(Scary Monsters (and Super Creeps)』(1980)
ボウイがニューウェイブをやるとこうなります。

いきなりの日本語ナレーションは廣田三知って人。

 
『ブラックスター(Blackstar)』(2016)
発売から2日後に亡くなり、星となりました。

 
…それでは今回はここまで。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

海外移住、脱サラ、フリーランスを目指している方、洋楽ファンをはじめ、皆さんのお役に立てば幸いです。